JE1KUC Profile 単なる無線遍歴(変歴?)
昭和61(1986)年2月開局,最初は父と一緒に電話級の講習会に出席して免許を取得した.
時間だけは一人前に過ぎてしまい,今年(2006年)でちょうど20年になる.あくまで計算上だが.
当時の私は団地住まいで,しかも5F建ての3F.ベランダから固定2m八木(マスプロの5エレだったなぁ)を使って,同級生の連中と,毎晩コソコソと話していた.熱くなったハンディ機を枕の下に隠しながら毎晩しゃべっていた.そう,我が家では勉強がおろそかになるという理由で無線禁止令が出ていたのだった(笑)
高2の夏,ハムフェア会場に併せて行われる電信級への移行試験を受けた.当時は晴海の見本市でハムフェアが行われていて,電信級移行コースは確か江間忠ビルだったような記憶がある.江間忠ビルは,今でも無線の試験に利用されていますね.
そのとき,中学時代の理科部の顧問の先生(JR1***さん)と会場でばったり会ったことを覚えている.私が受験したこの頃は,電信級以上の試験で送信術試験がなくなってすぐの頃ではなかったか,先生は,送信は完璧,受信がNGで落ち続けていたと仰っていた.
同じ年,初めて自分でリグを購入した.お年玉で取っておいた,2,3万くらいのお金を持って,FT-727だったかな,現在のものとは比較にならないほど大きなデュアルバンドのハンディ機の中古をハムフェアで購入.
大学に進んでアルバイトに精を出し,ルーフタワーを上げた.親が購入したけど住んでなかった戸建てで一人暮らしをしていたこともあって,生活はデタラメ.適当な遊び銭もあってオールモード機TR-751とTR-851を続けて購入した.当時は,ケンウッドのSSBパーティだったか,11月頃に2,30局との更新ログを出すとキーホルダーなどがもらえるようなイベントがあって,半分以上は仲間との交信,残り数局と交信して応募するも,コールサインの刻印がKVCになっていてがっかりする.
就職してすぐ,TS-790というV/UHF固定機を購入.初めての新品無線機だった.私も仲間も生活スタイルが代わって,徐々にラグチューしなくなっていった.そのころコンピュータへの興味がわき始める.ちょっと遅かったんだよなぁ..
実家の立て直しとともにアンテナを撤去したまま,コンピュータ遊び(クロックアップが流行っていた頃です)に夢中で,すっかり無線から離れていた.免許の更新を忘れていたほどだった.
ちょうど免許が切れている頃に,とあるパソコン仲間(=現在の無線関係でお世話になっている仲間達です)の企画したBBQに泊まりで参加した時のこと,私と同様に10年ほどブランクのあった方がBBQ会場にモービル用HFリグとマルチバンドバーチカルを持って来ていた.
ここで初めてHFの世界に触れ,ものすごい衝撃を得た.こんな棒でヨーロッパとガンガン交信できるのかヨぉ〜!
学生のころ,少しHFに出てみようとして,10WリグとL型GPで出てみたことがある.でも,さんざんCQ出して,韓国の局とだけ交信できた.「やっぱりこんなのじゃダメなんだなぁ」と思いこんでいた.今思えば,2Fベランダの手すりにつけた貧弱なアンテナで,つけりゃいいってもんじゃないですよね,ははは.
大きな八木とタワーが必要だと思いこんでいた私に走った衝撃は,BBQから戻った翌日に私を秋葉原へ連れて行っていた.そこで型落ちのIC-756とフルサイズダイポール(21MHz)を買って,当時同棲していた谷底にあるアパートの1Fにアンテナを張った.前のサイクル後半だったからか,こんなアンテナでもVKとは交信できた.
このアパートは,たった半年で引っ越すことになる.理由は一つ,電波が飛ばないから.そこで,XYLをだますように3F建てのアパート(オーナーはマンションと呼んでいた)の3Fに引っ越した.屋上にルーフタワーを上げさせてくれと交渉するための算段をしていたが,勇気が出せずに,なかなか先に進まない.ハムショップで見たラディックスのV型DPのカタログに「水平設置が可能」の文字を見つけ,早速購入しベランダに設置した.7MHz用だった.でも,国内QSOが聞こえるのだけれど,国内相手でも思うように交信できない.なぜ??
そこで,知人の情報から,今度はミニマルチのアパマン用アンテナAPA-4を購入.7MHzと14MHzはそれなりに遊べるようになった.「南極とも交信できた!」ってな感じで,割と満足していた.ところが,ハイバンドがまったくもってNG.ミニマルチの社長曰く,「(グラウンドの)容量がありすぎるから飛ばないんだ」.1/4λのアンテナで,容量がありすぎるって,どんなイメージなんだろう?地面に挿すバーチカルの場合,容量はどうやって制御するんだろう?という疑問を持ち,なんだか理解できなかった.いや,いまだに理解できないでいる.
無線再開と併せて,秋葉原通いが始まっていたある日,ロケット本店で偶然,YAESUフェアなるイベントが行われていた.ここでWDXCの方にMARK-Vの良さをたっぷり洗脳され,帰りに買ってきてしまった.XYLにはナイショですが,もちろんすぐにばれる.「**さんから借りた」と.みなさん,よく使う手ではないでしょうか?
将来,1アマをとってリニアを押すのに,200Wはいらないと思って,MARK-V Fieldを購入した.
このころ,仲間のアパマンハムがアイコムのオートアンテナチューナーAH-4を使っているという話をしてくれた.理由は「1本でマルチバンドに出たい」.既にIC-756は処分していたが,簡単なコントローラーを作れば,ICOM製じゃなくても使えると教わって,買う気マンマンだった.
タイミング良く,近所の超OMさんに,ヤエスのFC-1000を貸してもらう.使えるなら使ってみてということで,お借りすることに.ところが取説がなく,どうすればいいのか,どの線が何なのか?困っていた矢先に,これまた偶然に知人がオークションでFC-1000を出品していた(笑)急いでメールをだし,「発送する前に取説のコピーをくれ!」.知人は早急に対応してくれて,晴れてオートアンテナチューナー族の仲間入りをした.
様子をうかがっていたアパートの屋上利用も,釣り竿だけなら指摘されてもすぐに撤去できるので,思い切ってナイショでやってみた.すると,これが実にすばらしい!7mの釣り竿に園芸用のアルミ線で,3.5MHzでWと交信できるんだ,すげぇ〜!
釣り竿を使って,バーチカルやループを作って,HFの楽しさが初めてわかってきた.オートアンテナチューナーも,アース(グラウンド側,コールド側,カウンタポイズ,色々と呼ばれていますね)が重要であることに気が付き,屋上じゅうに放射状に張り巡らせた.AH-4の話をしてくれた友人が,FCCの免許を取るという話をしてくれた.じゃ,オイラも取ってみるかな?と思って勉強開始.1回目でGeneralまで,2回目でExtraをクリアした.とっちゃったからには,海外で運用したい!と思い,ちょうど直後に結婚したので,新婚旅行に無線機を持って行くことをXYLに相談.仲間達はzone34へ行けというが,新婚旅行くらい,安全な英語圏がいい,しかも,新婚旅行でリビアとかにいくって,あまり耳にしない.というわけで,新婚旅行はマウイ島へ,無線機とアンテナを持って行った.仲間からは結局,「新婚旅行に無線機なんか持って行かねーだろ,普通は」と.
ちょうど結婚式の準備でバタバタしている頃(すでに入籍は半年前に済んでいた),XYLと戸建て購入計画が持ち上がった.自分の家が欲しいとなったのだが,偶然私もXYLも違う理由で戸建てが欲しかった(笑)
不動産の購入に併せて,タワー計画を”コスト抜き”でXYLに相談し,了承を得た.当時,某雑誌にも幾つかの記事を書かせてもらっていて,なんとなく説得力があったのか,それとも騙されてくれたのか,すんなり同意を得た.タワーの下で家庭菜園やってもいいよ,など適当なことを言いながら・・
MARK-Vで50MHzトランスバーターFTV-1000を使用するためには,200Wバージョンに同梱される電源が必要であることがわかっていた.どうしてもFTV-1000を使ってみたかったので,200Wバージョンに買い換えた.電源だけも購入できるが,結構いい値段だったので,思い切って買い換えることに.別の友人がFieldを引き取ってくれた.そう,もともと借り物であった(笑)ので,戻した,ということになっているのだ.
(そういう割には,使っていない.電源すら接続していない状況だったりする(笑))
漸く新居が完成し,入居したが,外構工事を自分でちまちまとやっていたこともあり,タワー工事が進まない.引き渡し直後に基礎部分だけは工事したのだが,その先はまったく手つかずの状態で,家の側面に部材が山になっていた.HFに出たい,と思って,屋上に釣り竿を上げてみた.しかし,飛びは今一,今二...それでも,それなりには遊んでいた.入居から1年,友人達の「早く建てちゃえよ! 早くしないと手伝わないゾ!」の声で,重い腰があがる.2005年2月〜3月の寒い頃,一人で組立を始める.1日に3セクションくらいずつ,週末のみを使って組み立てていた.
3月末,友人達の協力を得てタワーを建てた.駐車場にクレーン車に来てもらい,1日がかりでタワーが完成した.基礎工事から1年も経ってしまっていたため,タワーの3辺がぴったりと入らない(基礎側の脚が,若干開き気味になっていたようである).我が家のタワーは,最下段がフランジになっているため,ねじ穴がぴったりでないと接続できないという問題が出た.もう1段,組み上げておけばよかったと思ったが,どうがんばっても,人力であげるには辛い高さ(基礎+1段は組んでおいたため,約6mの高さだった)であった.
工事の終盤に,初めての経験をした(してしまった).ちょっとした手違いで,マストが地面に落下したのだった.30mの上から,20kg近いマストのボトム側(クリエートの2段つなぎの下側)がタワーの内側をまっすぐ落ちてきた.風がなく鉛直に落ちてきたため,何の被害もなく,ラッキーだった.しかし,スゴイですね,地面に1mも刺さりました(笑)
幸いしたのは,我が家の基礎が5mx5mもあるため,地表面はタワーの脚部のみがコンクリートになっており,比較的やわらかい地面に刺さる結果だったが,これが20mクラスのタワーのように,タワーを含む1.5mx1.5mの箱状のコンクリートだったら,マストは曲がるだろうし,コンクリートは飛び散るだろうし.1mも刺さったマストは,なかなか抜けませんでした.てこの原理で大人4人がかりで抜き,今日はここで作業終了.後日,鉄筋棒を買ってきて,中の土を掻き出しました.
翌4月末,GW目前の週末に,アンテナ工事を行った.このときも多くの友人達にお手伝いに来て頂き,電動ウインチを使って,先日のマスト,アンテナ2本を上げた.フルサイズのアンテナ郡は,敷地一杯に広がっていて,なかなか思うように作業が進まない.普通の住宅地の地上で見る,14MHzフルサイズって,やっぱりデカイです.上げてしまうとそれほどでもないのですが.
2006年5月現在,1kW申請に向けて準備中である.もっとも,2004年7月にリニアを購入してから,ずっと準備中であるが,釣り竿を違って八木は飛びも受けもいい.買い物をしすぎて,検査の費用をXYLに牛耳られているのが,一番の理由という噂もあるが.
2007年3月,やっと1kW検査.夕方に来て頂き,スペアナなどをシャックに持ち込んで測定.一通りスプリアスの測定を行った後で,実際に1局交信してみるように言われ,7MHz/SSBで交信.アンテナのないバンドの免許をもらおうとするのを防止するために,実際に交信させるとのこと.多くの友人が参加していた9M4SDXに間に合った.
2008年5月.昨年暮れに材料費高騰に伴う価格改定で,値段が上がる直前のCD78Jrを購入したが,組み立てただけで未だに上げていない.おかげで,冬の間は交信数がまったく増えていない.ちょうど帰宅した時間帯が30mでの交信がギリギリなこともあり,その時間は家事をしていることも多く無線どころじゃない.友人達が7MHz/3.5MHzで交信している中,私はこれらのバンド用バーチカルを降ろしてしまったので交信できない.なんとなく夏を迎えることになりそう..今年の秋こそ..
2013年8月追記
連日ニュースでは35度を超える猛暑日を伝えていたが,とうとう10数年使い続けてきたわが家のサーバ(というかHDD)が壊れた.またゼロから構築するには少し時間がかかりそう.興味のあったあの頃のモチベーションがなくなって,安易にレンタルサーバなるものに手を出した.
(だから,こうやって追記することにもなったんだけど・・・)
初代Celeronの500MHzに128kBのメモリ,4GのHDDでよく10年以上も頑張ってくれた.PCはまだ生きているけど,さすがにリタイヤでもいいかなと.
前回の更新はおそらく2008年5月なんでしょう,それ以来このページも触ってなかった.この7年の間の無線活動は,実はそれなりにあった.
2010〜2011年は本業が忙しくて,ほとんどの無線活動は休止していた.この間は8J1ABIKOへの参加くらいかな.
2012年春,初めての本格的(?)なDXpeditionである9M0Lへ参加をした.LayangLayang島は南シナ海に浮かぶ絶海の孤島だけど,実はすごいダイビングリゾートで世界中のダイバーが楽しみに来る場所.
また,知人OMが切り盛りしているNH0Jへの参加もこの年の1月から.NH0ZのCQWW160への参戦に同行している.主にローバンドのアンテナ構築をには打ち合わせ・事前実験と十分な構想期間を経て,現地で実践する.私にとってローバンドのアンテナは未知の領域で,どれもこれも初めてだったけれど,非常に楽しい.GNDの重要さがわかってきたのと同時に,土質(土中の含水比かな)の重要さを体感できた.
そうそう,とあるOMに煽られて(ということになっているが,ずっと以前より個人的には目標だった)1アマを2012年8月に取得した.既にExtraで1kW局になっていたこともあり,合格した感動はあったがハムライフはあまり変化していない.
しかし1アマの試験は難しい.一応は理系なので計算は心配していなかったが,やる度に答えが変わる.実質3ヶ月,こんなに猛勉強したのは学生以来のことだった.
2013年7月に,50MHz八木をタワーに上げた.あまり真剣に取り組んでいないコンテストだが,それでもここ1,2年は国内コンテストで50MHz or 28MHzで参加していた.50MHzそのものに本腰を入れていないこともあって,24MHzアンテナにチューナで乗せて参加していたが,飛ぶけど聞こえないという,相手にとっても失礼なシステムで参加していた.この年の6m and Downで,屋根上に置き去りだった50MHz 6エレ八木を復活させたところ,よく聞こえるし,マルチの数が倍増した.季節的なものもあると思うが,いままで聞いたことの無かった4エリア,6エリアが聞こえる.あちゃー!今までホントに大迷惑な奴だったんだと反省して,タワーのHFアンテナの間に7エレ八木を挟んだ.今年の6mのDXシーズンは,諸先輩に指南をいただくも忙しくてシャックに座る時間も少なく,台湾としか交信できていない.全市全郡コンテストくらいから7エレの本格稼働になるかな.
台湾といえば,今年は初めての台湾旅行をした.ハム仲間数人と,無線運用いっさい無しの旅行自体が初めて.鼎泰豐の本店や芒果恰恰,などなど,2泊3日の滞在だったけど現地ハムらを交えてのドンチャン騒ぎができた.私にとってはマウイ島と同じくらい何度も行ってみたい所になった.
さて次の更新はいつか.
続く.....